Under The Same Sky

アシュタンガヨガを練習しています

思ふこと

最近こんな記事を目にした。

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今までもベトナムでの日本語教育や、日本語センター、大学や教育機関、ありとあらゆるところで日本語を学ぶベトナム人、多いと思います。そしてベトナムでは日本に行かずと(多分これはベトナムに限らずかも)大学で頑張って勉強して日本語を喋るベトナム人もいたりします。

でもいざ彼らが日本語を学び、日本に興味を持ち、日本で居を移した時に、日本はどれだけ彼らを受け入れる懐があるんだろう。

一時帰国をした時に、外国人が日本でアパートやマンションを借りるのが難しいというのをニュースで見た。その時に「今後は日本人が外国人を理解する必要がありますね。」とアナウンサーが話していたのが印象的だった。

そうか、日本まだそこか。。。!(ニュースの内容が主に中国人に対してか?とも受け取ったけどね。)

 

今までの経験上、日本人って相手が日本語を喋ると中身も日本人だと思い込む人が多い気がする。言わずと分かるよね、気持ちを汲んでよ、見たいな。

でも違うよね。。。

彼らも勉強している以上、多分文化の違いを少なからず感じて理解して歩み寄ることはできる。

でも本質が変わる訳ではないと思う。

日本語や日本の文化を知ってもらっても、相手が日本人になる訳ではないです。それに相手の文化を知ろうと思う人って少ないんじゃないかなあ。(もちろん皆んなではないのは承知の助)

頑張って日本語を勉強し、日本の有名大学で教養を磨き、日本企業に入っても、日本人の風習や習慣はゴメンですって言う人いたよなあ。

当然頑張ってる外国人もいると思うけど。

割と日本語教育で日本語から入るより、何か技術を持っているベトナム人で日本語が後から付いてくる環境の方がずっと日本に定着している様な気がする。

こういう記事見てると、「日本語勉強したんだから日本人の言うことなんて当たり前だよね」っていう人たちを作りたいんか?って思ってしまうのよね。

ふっ、なんて思う今日この頃です。