今日は空気感が大分変わった。
9月に入ってからじっとりと湿った空気で体も重く感じていたけど、今日は久しぶりに少し乾いてサラサラとした風が吹いている。
毎朝の練習でかく汗も昨日までとは少し違う。同じ時間に同じシークエンスの練習をしているのに、季節や空気感が変わっただけでも全然違う。
アシュタンガヨガの練習を初めてから数年が経ったわけだけど、練習(ここで言うのはアーサナ、シークエンスの練習)は毎日、何年続けていても私の根本的な部分が変わっとはあまり感じていません。もちろん体を動かす訳だから、柔軟性や筋力が付いて体の変化はあります。同時に、心の変化も促されることもある訳だけど、根本的な部分は変わらない(と、思ってる)。
ただし毎日、何年と”アシュタンガヨガのシステム”を繰り返し練習し続けていても、私自身、人間って日々違うんだってことを強く思い知らされます。
毎朝の練習の中で、毎日違う感覚をもったり、感情が湧き上がったりすることは、同じシークエンスを練習するからこそ気付きも多く、同時に新しい発見もしやすいとように思う。
”ヨガを学ぶ事は自分を知ること”
私は中年に差し掛かった頃にアシュタンガヨガに出会って、それを学んでみたい思ったから練習を続けて来た訳だけど、練習をする過程で自分を知ることがどんな事かを目の当たりにすることがたくさんあった。更に言うならば、それは良くも悪くも。
30年そこそこ自分の体と付き合っているのに、自分のことなんて知っているようで意外と知らない、意識すらしていなかったし、多分それすら気が付いていなかった。アシュタンガヨガを練習していく中で自分がどんなに無知かを思い知らされたし、それはまだ過程でもある。こんなこと書いたらちょっと難しく感じるかもしれないけど、実は至って単純なこと。
例えば苦手なアーサナを練習するとき、長い時間そのアーサナと向き合って格闘する場合がある。出来ない時間が続くと、どうやって克服できるのかもがいたりすることも多い。ただそれでも一進一退あったりして、少しづつ出来るようになっていく。この一進一退が日によって気持ちよく感じたり、ネガティブに感じてしまうことがある。
アシュタンガヨガの練習をしてきて、一体同じ日があったかな。。。
毎日同じコンディションで練習できればいいけど、それも普段の日常生活を送る上ではそれも中々大変なこと。だから毎朝心地よく練習するためにも、毎日の生活を少しでも整えて、快適に過ごそうと思うようになる。普段送る生活こそが、毎朝の練習にも繋がっていく。だからこそ、アシュタンガヨガが八支則と言われる所以でもあると思う。
なんて、毎日変わらない街並みのハノイに目をやりながら改めて思った。
さて、明日も良い日を過ごしましょう。