実は私、ベトナムでの生活が17年目に突入しました。20代前半で送ったイタリア生活を足すと19年。気がつけば、自分の年齢の大部分を(まだ年齢の半分には追いついてないけど)日本から離れて生活してるんだなあ、なんて思い返しています。
今でこそ「ベトナム17年目です。」なんて普通に言えるけど、この滞在年数を口に出すのって割と勇気がいることで、私なりに今まで葛藤がありました。
まず滞在先が「ベトナム」というだけでも理由を問われるし、まあ大体不思議な目で見られる事も多いです。そして多くの人が「自分の知識の範囲内レベルでのベトナム」で判断しようとするので、いつの間にか自分の状況を説明するのに面倒になっていました。なぜなら皆さん想像力だけはそれなりに働いて、本当のことを話した所で自分たちの納得した答えでないと信じない人も多いから。これ、本当にシンドイ事だったりするんです。それに私自身「日本を離れてベトナムで生活する事」については、常日頃迷ったり悩んだり、よく自問自答していて、場合によっては自分の状況を説明するのが苦しい時もありました。自分自身このベトナムに居ること自体に意味がなければならないと思い込みがあったのかもしれません。そんなことに意味を求めてもしょうがないことなのに。
ただそれでも「何で私はここに居るのっ?」て今だに頭を過りますが、それは「ただ自分を必要としてくれる社会に身を置いていただけなんだよ」って思えるようになりました。やっと。
寄りかからず 茨木のり子
もはや
できあいの思想には寄りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には寄りかかりたくない
もはや
できあいの学問には寄りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも寄りかかりたくない
長く生きて
心底学んだのはそれくらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
寄りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
茨木のり子さんの詩が好きで、時間のあるときにマイソールで読み返しています。何となくブログに載せたくなったので載せました。
たまにチラチラっとベトナムの写真、旧正月前の"Khong khi TET(テト前の慌ただしさ)"に懐かしさを感じつつ、ここマイソールで元気に過ごしています。